中馬剛心流剣術について

東郷静馬先生との稽古
東郷静馬先生との稽古

 中馬剛心流の名は、北薩摩(鹿児島県出水地方)の郷土史上に藩の英雄として讃えられている薩摩藩士「中馬大蔵」に因んだものです。

 中馬大蔵は下級武士でしたが、関が原の戦があることを知るや、着の身着のまま、薩摩から関が原まで、昼夜を問わず駆け通しました。そして、その見事な働きから 当主島津義弘を喜ばせ薩摩のボッケモンとして名を馳せた人物です。

 中馬大蔵は剣、槍、弓、棒術の達人で下級武士ながら研鑽をかさね武勇を轟かせました。

 晩年は出水郷脇本の御仮屋番(参勤交代のおり殿様宿泊先)を勤め、71歳で亡くなりました。その墓は薩摩剣八郎の実家近くにあります。

立て木を打ち続けた修行時代
立て木を打ち続けた修行時代

●現代の中馬大蔵を目指して

 

 薩摩剣八郎は中馬大蔵と同じ、鹿児島県北部の出水地方に生まれ、少年時代に親族から示現流をはじめとする薩摩藩伝来の古武術の指導を受けました。

 役者を目指して上京し、仕事に追われる日々を送りましたが、そんな中でも武術を忘れたことはなく、殺陣稽古などの合間に、機会を作っては武術の稽古を続けました。

 

 大きな転機となったのは、特撮映画「ゴジラ」シリーズのゴジラ役でした。140キロもの重量がある着ぐるみをまとって、火中や水中で激しいアクションを繰り広げるゴジラ役は、まさに命がけの仕事でした。


 ゴジラ役を務めるためには独自の精神と肉体の鍛錬が必要でした。薩摩剣八郎は東宝砧撮影所近くの野原に武術稽古場を作り、本格的な武術修行を再開しました。


 それは大地に埋め込んだ何本もの太い立木に、激しい打ち込みを行う荒稽古でした。

 これが「ゴジラ俳優の野天道場」として注目され、マスコミ報道もされました。海外からニューズウィーク誌が取材に訪れたこともあります。

 野天道場の荒稽古によって、薩摩剣八郎はまさに戦国武者のような身体を備えるまでになりました

●示現流から中馬剛心流へ

 

  俳優業の傍ら、示現流をはじめ、鹿児島に伝わる伝統武術の研究・稽古を続けてきた薩摩剣八郎は、長年の武術修行の集大成として、中馬剛心流剣術を創始し、その指導・普及を始めました。


  最初の野天道場での修業時代に、薩摩剣八郎は、鹿児島の示現流宗家を訪問し、改めて第11代宗家東郷重政氏から型稽古と立ち木打ちの指導を受けました。

 正式に入門していないにもかかわらず、東郷重政氏から丁寧な指導を受けることができ、貴重なひと時であったと薩摩剣八郎は記憶しています。


 その時、型稽古に使うようにと東郷氏から木刀二本を授かっています。

 また、出水地方在住の地元剣術家 東郷静馬氏からも指導を受けました。


 このように、「中馬剛心流」は、あくまで薩摩剣八郎が創始した剣術で、現在の財団法人示現流宗家、門人に連なる流派ではありません。

 

●荒稽古を楽しむ


 そういう意味では「中馬剛心流」は伝統武術ではありませんが、師範の薩摩剣八郎が、この稽古会で伝えようとしているのは、中馬大蔵の人柄のような素朴で一途な剣術です。


 自分が生まれ育った薩摩の武術の素晴らしさであり、伝統古流武術に負けない気迫に満ちた稽古です。

 かつて薩摩では、街のところどころに、立木があり、心得のあるものはいつでも稽古できたといいます。

 中馬剛心流は、そうした往時の薩摩武士の精神を継承し、立木打ちで心身を練り上げることを第一義に考えて稽古しています。

 

 私たちは、武術を愛するものとして、師の思いを受け継ぎたいと、この稽古会を開催していますので、段位、免状などにこだわらず、薩摩地方に伝わる荒稽古の味を楽しみたいという方々の参加を歓迎いたします。